フットサル・プロジェクト

報告書 futsal Project

第2部.東京都フットサル連盟設立にあたって

2.21世紀の競技団体のあり方

 1960年代の「社会体育」に始まり、70年代の「コミュニティスポーツ」、80年代の「みんなのスポーツ」、90年代の「生涯スポーツ」と、さまざまな言葉で語られる現象は、スポーツが一部の"競技者"だけのものから、広く国民全体のものとなってきたということである。ここではまず、スポーツとその愛好者についていくつかの点から検討し、スポーツの受け皿であるクラブ育成の重要性に言及する。さらに、これから求められる理念と、それに基づくスポーツの場、スポーツ組織のあり方を考察してみたい。「スポーツ」の部分を「フットサル」と読み替えることによって、フットサル連盟の話にあてはめることができる。

 
1)これからのスポーツとその愛好者のとらえ方−特にフットサルに関連して

 20世紀後半から引き続いて起きている大きな変化を、スポーツ愛好者を概観することで捉えたい。

<1>スポーツ愛好層の多様化
 青少年の健全育成のためであったスポーツから、老若男女、様々な人が関わる、国民の文化としてのスポーツへと愛好層が広がり、多様化している。もちろん、スポーツ愛好層人口も増加している。

<2>スポーツとの関わり方の多様化
 スポーツが身体活動をともなう文化であるとするなら、「する」ことはこの文化のコアである。しかしそれだけでなく、スポーツを「みる」ことを楽しむ人、スポーツで、あるいはスポーツを「語る」ことが好きな人、あるいはサポーターやボランティアとしてスポーツを「ささえる」ことに喜びを見出す人など、多様な関わり方が見られ、そして認められている。これらすべてがスポーツの愛好者であり、彼ら全てを仲間と捉えるなら、「する」ことにのみ焦点を当てた競技団体の組織化には限界がある。

<3>プレーヤーの志向の多様化
 スポーツを「する」人も、レベルやニーズは多様である。競技志向、上昇志向が全てではない。ノックアウトシステムでチャンピオンを決する方法だけでなく、レベルやニーズにあわせたリーグを組織することが望まれる。また、「上昇しない仕組み」を含めた多様な仕組みを用意し、利用者がそれを選択していくことが求められる。

<4>スポーツの場・機会の多様化
 競技団体が主催・後援する公式大会だけでなく、民間も含めて様々な機会があるのが、これからのスポーツシーンである。競技団体が開催する大会は権威あるものとして位置づけられようが、市場原理に基づく民間イベントの活性化も、スポーツを文化として育てる上で重要である。

<5>スポーツ関連分野の多様化
 スポーツが社会の中で大きな地位を占めると、スポーツの中だけで完結することなく、多くの人や組織が関わるようになる。スポーツは、スポーツ以外の制度や組織と良い関係を築きながら発展していかねばならない。文化としてのスポーツ本来のあり方を主張するのはスポーツの側、特に競技団体の使命である。主体性を持って発言できるだけの力を持つことが大切である。

<6>ライフスタイルの多様化
 スポーツ愛好者のライフスタイルは多様化している。それは、人生80年(約70万時間)をどう設計するかといった時間的な側面から捉えられるし、交通・通信環境の劇的な変化に伴う空間的な広がりとしても捉えられる。埼玉都民、千葉都民と言われる移動の民の隆盛は、地域や職域を基盤とする組織化の限界を示唆するものである。

<7>インターネット利用によるコミュニティの多様化・多層化
 スポーツ愛好者は、家庭や地域社会だけでなく、母校や職場、趣味のサークルなど様々なコミュニティの一員である。そしてさらに、インターネットの普及により、時空を超えた、バーチャルなコミュニティが創出されようとしている。地域社会の在り方そのものが問われようとしている。

 
2)多様なスポーツの受け皿−クラブを育てることが原点

 このような多様性を持つこれからのスポーツの受け皿は、年令・性別、レベルやニーズの異なる多様なメンバーによって構成される「クラブ」である。まずは地域社会に、スポーツの受け皿となるクラブを作ることが原点である。

 これまでの日本のスポーツは、「クラブ」という名称をつけていても、その実態はほとんどが試合を行うための「チーム」でしかなかった。チームとクラブの概念を混同する人が多いのは、学校運動部で「チーム一丸」となることが強調され、異なる価値観と共存しようとはしなかったスポーツ観に由来する。

図.チームとクラブの関係

 チームは、ゲームを行うための単位である。ゲームを楽しむには、同じようなレベルやニーズを持つ者が集まるのが良い。従ってチームは同質集団となり、他のチームとは競争関係となる。そして基本的には、ある目的を達成すれば解散する。たとえば、ゲームをすることが目的であった場合、ゲームが終われば解散する。学校運動部であれば、「最後の大会」が終われば上級生は「引退」し、全く新しいチームになる。1年間という期間限定のチームである。

 チームから離れた時、人はどこでスポーツをするのか。また、同じスポーツを楽しむ人と、どこで知り合うことができるのか。異なるスポーツの愛好者は、どこで出会い、語ることができるのか。
 そのような場として、クラブをいかに育てるかが原点である。競技団体の為すべきことは、まずクラブの育成であり、組織化されない大衆の啓蒙活動である。そのためには、単なる大衆から、自分のことを自分で判断して行動できる「スポーツの主人公」を育てることが望まれる。

 ただし、1)に挙げたような多様化がみられるこれからのスポーツにおいて、20世紀型のクラブモデルでは対応しきれないだろう。フットサルにおいては、新しいタイプのクラブが生まれる可能性もある。フットサルクラブのモデルをいくつか提示したい。

<1>自ら保有する施設をベースとするクラブ(東京ベイフットサルクラブなどの民間施設)
<2>公共施設を利用しながら地域で活動するクラブ(府中水元クラブなど)
<3>志を同じくする者で集まったチームをベースとするクラブ(FCチェリーなど)
<4>ネット上のバーチャルクラブ(フットサルネット愛読者の組織化など)

 <4>については、21世紀の新しいクラブのあり方として視野に入れておく必要がある。いずれの形態においても「経営できるクラブ」を育てることが必要である。

 
3)「補完性原理」に基づく底辺からの組織化を

 自立したスポーツ市民を育て、クラブを育て、それらの連合体としての協会・連盟を育てるには、カソリックの社会理論から生まれた考え方である「補完性原理」に基づく必要があるだろう。EU統合の基礎理論でもあった「補完性原理」とはおおむね以下のような考え方である。

 「(前略)自分でできることは必ず自分でやらなければいけない。できないことだけを家族の援助でやってもらおうではないか。家族でできることは全てやらなければいけない。家族でどうしてもできないことは市町村の行政の援助を得ようではないか。市町村でできることは全てそこでやらなければいけない。できないことだけを県の、あるいはヨーロッパでは州の行政の援助を頼ろうではないか。そこでできることは全部やらなければいけない。できないことだけを国に頼ろうではないか。国でできることは全部やらなければいけない。できないことだけをEUにやってもらおうではないかと。こういう仕組みで今までの上からの統合ではなくて、下からの積み重ね、積み上げ方式でもって統合をしていくというのが補完性原理という考え方(後略)。まず自立自助、そういう意味で人格形成です。そしてそういうものが集まった地域が独自の生き方をしていく、独自の文化を作っていく、そういう社会を作るべきだということです」注3)。

 この考えをスポーツにあてはめると、以下のようになる。
 スポーツに参加し、楽しむ単位は、突き詰めると個人である。プレーしたいから「する」し、みたいから「みる」。サッカーをみたいという欲求は、チケットを購入してスタジアムへ足を運んだり、テレビのスイッチをひねることで満たされる(テレビ視聴が有料化されると、契約することも必要であるが、これも自分の責任で行う)。

 個人で欲求が満たされればそれでいいが、サッカーやフットサルをしたいと考えた時、個人では解決できない。なぜならそれは集団で行うものであり、味方と相手が必要だからである。その時点で、同じ目的を持った集団−チーム−が生まれる。誰とでもいいから「ゲームをする」だけであれば、チームだけでいい。20世紀の日本のスポーツは、活動単位がほとんどチームであり、だから、チームを離れた時にスポーツをする場がなくなっていたのである。

 継続的にスポーツに取り組みたい、スポーツで仲間を増やしたい、いろんなスポーツに取り組みたいと考えた時、チームだけではその欲求は充足されない。レベルやニーズ、年令や性別の異なる集団であるクラブが求められる。そして、クラブこそ欧米のスポーツ先進国がスポーツを育ててきた仕組みであり、日本において欠けていた部分である注4)。文化としてのスポーツを育てる集団は、チームではなくクラブという単位で捉える必要がある。

 さて、多様なレベルやニーズの受け皿としてのクラブが存在し、それらが十分機能している中で、より広範囲にわたる組織化が必要となった時にはじめて、協会や連盟が生まれる。個々のクラブでは解決できない課題に直面したり、新しい可能性を開こうと考えた時、組織されるのである。

 しかしながら20世紀のわが国において、協会や連盟は主として競技会開催を目的とした「上からの」組織化であり、自立したクラブが融合するといった「底辺からの」組織化ではなかった。21世紀のスポーツ組織は、補完性の原理に基づいた、自立したクラブのニーズから生まれる、底辺からの組織化であることが望ましい。

表.スポーツ集団の3つの基本型
集団的側面 指導的側面
ネットワーク 関係 価値 リーダー 内容 リーダーシップ
チーム 競争

協同
業績 コーチ 指導 権威
クラブ 共存

協同
和合 マネージャー 代表 影響
アソシエーション 連合

協同
貢献 オーナー 管理 権力

粂野豊編『現代社会とスポーツ』不昧堂出版,1984,p69

注3)田村正勝(早稲田大学) 「補完性原理と地域のアイデンティティー」,日本スポーツ産業学会平成8年度プロジェクト研究報告書
注4)但し、早稲田におけるWMWとア式蹴球部の関係、筑波大学附属高校における桐窓クラブと現役の蹴球部との関係など、伝統的な日本の運動部にはクラブ (倶楽部)という発想があったことは指摘しておきたい。クラブよりもチームが重視されるようになったのは、チーム単位の登録制度導入以降のことであろう。

 
4)自立した個人の存在が不可欠−スポーツ教育の充実を

 補完性原理に基づく底辺からの組織化は、「自分(自分たち)のことは責任を持って自分(自分たち)でする」といった、自立した個人の存在が前提となる。ただサービスが与えられるのを待つだけの幼稚な個人が集まるだけではクラブは成立しないし、ましてや協会・連盟が実質的に成り立つとは思えない。強権を発動して、施設・競技会・情報をすべて協会・連盟が握ることによって、協会・連盟が存続することは可能である。しかしそこには膨大な実務が残り、一方でサービスを待つだけの受け身の参加者を増やすだけで、文化としてのスポーツを育てることにはつながらないだろう。個人がクラブをささえ、クラブが協会・連盟をささえる。クラブは個人で解決できない課題を解決し、協会・連盟は、個々のクラブで解決できない課題を解決する。このような「補完性原理」が前提となるのである。

 スポーツ愛好者を一人でも多く、自立したスポーツの主人公に育てることが、スポーツ組織を維持・発展させる上で不可欠である。そのためのスポーツ教育の充実が求められる。学校体育や様々なメディアによる教育とともに、競技団体への期待も大である。

 
5)協会と連盟の住み分け

 ここまで協会(Association)と連盟(Federation)を併記してきたが、サッカーでは、それぞれの国を統括する団体は協会であり、 FIFAは各国協会の連合組織、すなわち連盟とされている。FIFAは一国に一協会しか認めていない注5)。日本サッカー協会は、日本において唯一認められたサッカーの競技団体であり、各都道府県サッカー協会を加盟団体とする。また、JFA基本規定の第3章(所属団体)第5節(各種の連盟)において、「本協会(注:日本サッカー協会)は、サッカーの競技の普及及び発展を図るため、各種の連盟を置くことができる」とあり、日本フットサル連盟は、その12番目に明記されている(2000年度JFA規約・規定集より)。各都道府県協会においてもこれと同様の仕組みが見られるのは周知の事実である。

 協会が全体を統括し、連盟がその中のある部分を担っていく。この考え方 は、以下からも伺える。 「自分たちのサッカーのために、協会が何をしてくれるのかを問う前に、自分たちのサッカーのために、自らが、何ができるかを考え、実行しなくては、進歩は期し難いとする人間の集団が結束して行動を起こし、そして日本サッカーリーグは発足した。同様のことを他の層にも拡大していくことが必要で、サッカー協会と連帯して、それぞれのグループで検討することになった。自分たちが日常抱えている問題を、自分たち自身で解決していこうとするのはきわめて自然なことである。(中略)こうして、日本サッカーリーグをはじめとして、全国社会人、全日本大学、全国自治体職員、全国自衛隊の五つの連盟が発足し、自主的に運営することになった。もちろん協会から離れて無縁の存在となるのではなく、常に協会と連絡しながら、しかも自らのサッカーの向上について真剣に検討を加え、さらに問題意識を持ち続けようという狙いである。ミニサッカーや女子サッカーも近い将来『連盟』として歩を進めることになるだろうし、その他の層についても、これから先、連盟結成の機運が生まれ、育ってくるものがあることも考えられる」注6)

 協会が全てを網羅し、連盟はその中の"同志"による組織体との考えである。同じ第2種(U-18)が対象であっても、高体連は学校教育の中のサッカーを、クラブユース連盟は学校以外のクラブを育てる団体である。ただ、身分やニーズによって連盟を乱立させることについては様々な考えがあろう。大学生の連盟には、「大学サッカー連盟(学連)」以外に「同好会連盟」があるが、日本サッカー協会としては公認していない。

注5)FIFA規約第1条第3項、Only one association shall be recognised in each country.。ちなみに第4項には、Each of the four British associations shall be recognised as a member of FIFAとあり、英国四協会が承認されている
注6)長沼健(当時日本協会専務理事)「新時代に即した組織の確立を!−年齢別種別制度、後援会も発足」,機関誌サッカーNo.1,1978.12.

 

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