【日 時】2008年7月31日(木)19:00〜21:00(その後「ルン」〜0:00頃)
【会 場】筑波大学附属高校3F会議室(東京都文京区大塚1-9-1)
【テーマ】サッカーのいちジャンルとしてみるハンディキャップサッカー −−知的障害者サッカーを取り巻く環境と彼らを知る−
【話題提供者】森山徹(日本ハンディキャップサッカー連盟 常任理事)
【コーディネーター&報告書作成】依藤正次(NPO法人横浜スポーツコミュニケーションズ=ヨココム)
【報告者】中塚義実(DUOリーグチェアマン)、土谷享(KOSUGE1-16)、佐藤一朗(靴郎堂本店)
【参加者(会員)】阿部博一(R&A) 安藤裕一(筑波大学ハンドボール部OB) 北原由(都立武蔵野北高校サッカー部監督) 木幡日出男(東京成徳大学) 齋藤健司(筑波大学) 白井久明(弁護士) 田中俊也(三日市整形外科) 手塚一志(パフォーマンス・コーディネーター) 中塚義実(筑波大学附属高校) 野田直広(富士電機) 藤田直樹(ビバ!サッカー研究会) 室田真人(中央大学大学院) 依藤正次(ヨココム)
【参加者(未会員)】 ★奥山純一(富士電機) 佐藤いちろう(靴アーティスト) ★中村和彦(映画「プライドinブルー」監督) ★福島成人(ヨココム) ★森田仁(しいの木FC監督) ★森山徹(日本ハンディキャップサッカー連盟常任理事)
注1)★は初回参加のため参加費無料
注2)参加者は所属や肩書を離れた個人の責任でこの会に参加しています。括弧内の肩書きはあくまでもコミュニケーションを促進するため便宜的に書き記したものであり、参加者の立場を規定するものではありません。
今日はよろしくお願いします。森山です。
ハンディキャップサッカー連盟では理事ということで、事務局のほうの仕事をしております。
私のサッカーとの繋がりを申しますと、実は現役でプレーしていたのは中学までです。
高校から指導の機会を与えられ、高校1年からジュニアユースのクラブを見させてもらっていて、大学を卒業するまでそのクラブ(国分寺のスポーツ少年団)で指導をしていました。その少年団のOBのチームでは社会人登録をして、東京でいう三多摩クラブ選手権で準優勝したのが現役のときの唯一の実績でしょうか。
それから選手よりも組織作りのほうの機会があり、当時国分寺市のサッカー連盟は休止していたのですが、それを再興しようというと発起人をやったり、学生時代からそんなことばかりやっており、実はハンディキャップサッカー連盟の立ち上げの発起人のひとりでもあるんです。
今日いろいろとお話しをしたいのは、なにせ「プライドinブルー」(映画)の影響が非常に大きくて―選手たちの華々しい部分と彼らの厳しい部分を同時に「プライドinブルー」の中村監督には撮っていただきたくさんの方に観ていただいていますので―今日はもう少し深くつっこんで、知的障害があるというのはどういうことなのか、彼ら自身の本音とか望んでいることとか、そのあたりをイメージしていただけたらなと思います。
まずなぜハンディキャップという名前なのかということを少しお話したいとおもいます。知的障害のサッカーの団体を作るときに、当初から僕らは障害者の団体ではなくサッカーの団体にしようという思いで作りました。
これまで障害を持っている方たちのいろいろなムーブメントをみていますと、権利主張が最初にあるんです。障害のある方たちも健常の人たちと同じような権利がほしい、体験がしたい。そういう障害のある人たちからない人たちへの主張、そして障害のない人たちへのメッセージが多いわけです。
これはちょっとパターンを変えたいなと。むしろサッカーというところから障害を持っている人たちへ対してベクトルを向けられないかというのがひとつ大きな発想の原点になっています。
ですから、設立前から知的障害者のサッカー団体を作った場合に、JFAにどう認めてもらえるかという課題を常に意識していました。いろいろと非公式にJFAの関係の方や事務局関係の方にお話を伺ってくると、当時フットサルが委員会という形で大会ごとの登録制という形を敷いており、いわゆる何種という形で大会ごとの登録制を敷いていました。
そういうような形で参加できないかとか、いろんなスタイルを考えて協会の方に「障害のある方たちのサッカーがあるんだけどもどうなのか」とお聞きすると、次のような答えが返ってきました。
当時の事務局の方がおっしゃったことなのですが、まず全国の組織として、全国の都道府県のうち半分以上で行われていてきちんと組織化されているというのがひとつの条件。
それから、障害者サッカーといってもいろいろな障害のサッカー団体があるので、窓口を一本化してほしい。知的障害だけではない、脳性まひの方もいる、聴覚障害の方も視覚障害の方もいる、さらに電動車椅子サッカーもあり、一個認めたらうちもうちもとなったときに、協会としたらそこまで対応ができないだろう、障害という形で一本窓口をつくってもらえたら、といった話がでたわけです。
そこで、将来的に他の障害者サッカー団体の方達にも声をかけ、一つの窓口になり得るような団体を考えていたことで、本来であれば「知的障害者サッカー連盟」なんですが、包括的にいろんな団体をまとめていこうという思いで、「ハンディキャップサッカー連盟」としたわけです。それから、これはぜひサッカー界からトップになる方をお迎えしたいと思っていたなかで(もちろんJFAとのパイプ役になってくださる方ということで)、6月にお亡くなりになった長沼健氏に、ぜひとも助けていただけないだろうかというお願いをしました。半年くらい時間がかかったんですけど「いいよ」と快くお返事をいただき、以来9年間にわたって私たちを引っぱっていってくださったわけです。
当初はそういう流れがあったのですが、実質は、今は知的障害者のサッカー連盟です。ということで名前と本来の由来と内実とが今ちょっとずれているということを理解していただけたらと思います。
障害者サッカーと言っても、脳性まひの団体の7人制の脳性麻痺のサッカーと視覚障害者サッカーはパラリンピックの正式種目です。それから聴覚障害と視覚障害はそれぞれの国際大会(世界選手権)があります。現在は、この3つの団体と知的障害の我々の団体とで、障害者サッカーの連合組織のようなものをつくりましょうということで、この1年くらい定期的に話し合いを進めています。
それぞれの団体が独自の活動をしながら、協会と折衝していくためのひとつの組織つくりを同時に進めているというのが現状です。
一応障害者サッカーというと日本にはいま5つあるんだということ、今日はそのうちの知的障害のことを少しお話していきたいとおもっています。
補足)脳性麻痺7人制サッカーと視覚障害者サッカーは、パラリンピックと別個に世界大会もあり、パラリンピックの予選も兼ねています。聴覚障害者の世界大会は聴覚障害のオリンピックであるデフリンピックで、サッカー単体の世界大会ではありません。
それでは、はじめに知的障害とは何かという話から始めたいと思います。
知的障害を診断する為には3つの基準で診断します。
ひとつは知的な能力の発達に明らかな遅れがある。知的な能力とは、資料にありますように、いわゆる問題解決能力と考えていただければいいかとおもいます。それから2つめは日常的に社会参加する、あるいは集団に参加するときに適応的な行動をするという部分で明らかに困難さがある。それから(18才以上の場合には)、18歳未満に発症していることが明らかになっているという3つの条件を揃ったときに判定をしていきます。「プライドinブルー」で観ていただいた代表選手たちも、この3つの基準に照らし合わせて知的障害があると判定されています。
ということは、例えばまったく特別なサポートを受けてこなくて、20歳くらいになってどうも知的障害があるらしいとわかった選手がいても、なかなか遡って知的障害があるということにならないんですね。つまり18歳未満の小さいころからそういう特別支援教育を受けてきた、あるいは障害者の認定手帳を持っているとか、なんらかの福祉的教育的サポートを受けてきていないと、例えばサッカーが上手いのだけど、後から、どうもものごとの理解が難しそうだからといって計ってみたらIQが低かったと、知的障害だとなったときに、18歳以前に遡ってそれを証明できないと、選手として認められないという現状があります。
日本の場合には病院に行くとIQ70で診断をします、資料に計算式がありますけど、年齢相当というとIQが100です。実年齢と問題解決年齢で割り算をして100を掛けますから、70というとだいたい実年齢の70%くらいの能力問題解決能力ということになります。なぜ18歳で区切るかというと、基本的には18歳以降は発達が右肩上がりではなくなって、そのあとは社会的な経験をつんでいくということになり、いわゆる成長過程までというのは18歳までなんですよ、というふうに便宜的に切っているわけなんです。
ですから例えばIQが70と言ったときに、18歳でIQが70というと、だいたい14歳くらいになるかとおもうですけども、そうするとじゃぁIQ70の子が30歳になったらそれが23〜4歳の能力になっているかというと、なかなかそうはなっていないですね。
だから一応18歳の段階でのIQ、それ以上は、知的な能力については発達するんじゃなくて持っているものをどう使うかということを問われていると考えてもらい、そういうふうに知的障害というものを理解していただけたらとおもいます。
ですから40歳になったからIQ70なんだから30歳以上の問題解決能力があるかというとそういうことではないんです、あくまでも18歳の段階が一応マックスとみていただければ、
ただそれ以上社会経験をつんできますので、代表選手なんかもいろんな知恵をもっていますし、実際のIQ以上の能力というのは当然持っています。

ここで選手たちがどういう形で国際大会で出る手続きをとるかということをお話したいと思います。
だいたい選手ひとりにつき30ページくらいの判定書を作成します。これを作るのに、1人につき2ヶ月くらいかかります、これは資料1にありますように、知的障害があるということをドクターや心理判定員、あるいは所属しているチームのコーチが詳細なレポートを書きます。どういうレポートかというと、スポーツ活動をするうえでサポートが必要であるという内容のレポートです。
サポートが必要でないとなったときには、知的障害ではないというふうに判定されます、日本の場合では数字が70とか75を基準にして機械的に知的障害の手帳を発行される傾向があるんですが、欧米に行くと、数字よりも、どれだけ支援が必要かで認定をしていく傾向があります。だから実際には、30ページのうち、心理テストや知能テストのページは1ページしかありません、あとのすべてが、適応行動とどれだけのサポートがいるかということを書くようになっています。
代表に選ばれるような選手たちは、「プライドinブルー」を見ていただければ判るとおもうんですけど、だいたい自立しているんですね、一人暮らしして、場合によっては車の運転免許をもっていたりする選手や、場合によっては結婚をしていたりする、つまりサポートなしでやっていける連中が結構代表には多いです。そのような選手であっても、やはり細かいところではなんらかの支援を必要としている人がほとんどです。
そこで具体的に知的障害の子供たちはどんな子供たちなのかをみていきます。資料2は子供のころの様子です、言葉の発達が遅れるとかいろいろと症状が書いてありますが、それとスポーツ活動の困難さとが対比させて書いてあります。
やはり言葉の発達に課題を抱えている子がほとんどです、ですから高等部以前、つまり小中学校義務教育段階ではなかなか指導者の指示を理解するのが難しい。それから自分の状態を説明できない子が多いんです。例えば怪我をして痛いんだけども言えないとか、スパイクが上手く履けないんだけどひもを結べないままそのまま出てしまうとか、それを伝えられないということが多い。
そのあたりが、コーチ連中が最初に苦労するところです。きちっと自分のことが言えないということを前提にチームを見ていかないといけないので、「出来ているはずだ」というつもりでやるとまず上手くいかないです。
それから物事を理解するのに時間がかかる、つまり我々が10回練習すればある程度できるようなことを彼らは3ヶ月くらいかかったりします。
それから身につけるまでに時間がかかる、我々は1回出来たというものに関しては次も出来るという感覚を持ってますけど、彼らの場合には1回できても次も出来るとは限らない。
定着するのに本当に回数を重ねなければならない。そういうことがありますので「出来た!」という実感をもてるまでに嫌になってしまう。だから途中でやめてしまう子が多いです。
それから動作がぎこちない。これは体育学的に言うといわゆる目から入ってくる情報を運動に伝えるときの反応時間が非常に長いんです。ですから動きながらパスを出そうとしても、走っている選手の先にボールを出すということが出来なくて、走った後ろのスペースにボールが出てくるようなことがある。
本人のイメージとしてはその選手の前にボールを出しているつもりなんだけど、実際にはその選手の走った後ろにボールが出てくるなんていうことがよくあります。
そういうふうにして本人のイメージと頭の中の情報処理のスピードが合ってくれないので上手くいかないということが出てきます。
なかなか上手くいかないので、コーチがいくら「大丈夫、出来る出来る」と励ましても、「無理無理」とあきらめてしまう選手が多いですね。
それから、はじめてのことや変化が大変苦手な選手が多い。試合なんかで普段と違う場面があると非常に緊張してしまう。
一番最初に代表チームを組んでポーランドに遠征したときはまさにそういう状態でした。普段やっていることがまったく出来ない。試合前のアップすら手順がわからなくなってしまうといったように、非常に場面に依存します。ですから競技場が変わっただけで、出来ていたものが出来なくなってしまうということがあります。
逆に言うと、場面に依存しやすいので、おなじパターンを繰り返してやると非常に早く習得するということがあります。その代わり、場面に依存しているので、場面が変わるとそれが出来なくなる。ということで、なかなかパターンを使って習得させるという方法が難しい。
コーチを悩ませることの一つに、記憶する量が少ないということもあげられます。これはやっぱり健常者と比べて記憶のキャパシティが非常に少ないですから、目の前の情報処理で一杯になります。
一手先二手先なんいていうのはまず難しい、こうやってパスを出したらここに走るんだよというパターンを繰り返しやれば出来るんだけども、それがフィールドのなかで違う場面になってしまうと出来なくなってしまうことがあります。
それからメンタルの部分が非常に大きいです。集中が長続きしない、つまり体力のしんどさを気力でカバーするということが難しいという面がみられます。言い方を変えると、体力よりも気力が先に萎えてしまう。まだ走れるんだけども気持ちが立ち上がってこないという選手が大変多いです。
それから自分で判断することが苦手です。このあたりは知的障害から来る部分よりも、もうひとつ、教育の問題が大変大きく影響します。特に特別支援学校の場合には、特に小学部中学部を通して、あるいは特別支援学級もそうですけれども、言われたことを忠実にやるということが求められている世界です。
自分で判断するとまず怒られたりする。「なに勝手なことをやっているんだ」ということになります。それがパターン化しやすくて、自分で判断をせずに指示待ちの姿勢になってしまう傾向を生みやすくします。学習された、「自分で判断することを放棄している姿勢」と言っていいかもしれない。
ポーランドに遠征したときのエピソードです。2002年の監督は、前のなでしこジャパンの大橋さんですが、ホテルに着いた次に日の朝に「7時にホテル前に集合して散歩に行くぞ」という指示が出て、その夜解散しました。しかし、翌朝7時にホテル前にいた選手が、20人のうち5人しかいなかった。あとの15人は旅の疲れで寝坊したり、あるいはシャワーを浴びていて時間に間に合わなかったり、シャワーが水だったのでびっくりしてどうしていいのかわかんなくなったとか、いろんなエピソードがあるんですけど、とにかく5人しかいなかった。スタッフも特別支援学校の教員が何人かいたのですが、そのなかにも、選手の対応をしていて7時にいないスタッフもいたわけです。どうするかなと様子を見ていたら、7時になったら大橋監督はさっさと「行くでぇ」と散歩に行ってしまわれた。
大橋監督たちが行った後、5分遅れ10分遅れで残りの15人が揃いました、「あれ、まだみんな来ていないのかなぁ」と暢気なことを言っていました、それで20分くらい経って、7時に出て行った連中が帰ってきました、そして大橋さんが、「遅い、7時と言ったら7時にちゃんと来い」と言ってそれで終わりなんです。
怒るとかそういうことはしないですね、当時僕は大橋さんのサポートという役割で遠征に帯同していましたが、時間のあるときにその理由を聞いたんです。
そうしたら3つ理由がある、と。
1つ目は、7時と言って、ちゃんと7時に来ている選手がおる。だからまじめにやっているやつが損をするチームにはしたくない。
2つ目は、遅れてきたやつは多分「すいませんでした」と謝ってそれで終わる。そしたら絶対次の日も遅れてきよる。謝ればいいということではない。
それから3つ目として大橋さんが言われたのは、「森山さん、これが一番大切なことなんやけどな、俺が7時と言ったら7時に行かないと、俺自身が(選手に対して)嘘つきになる。」この時、「あっ、プロだな」と思いました。
つまり自分が言ったことはちゃんとやるということを初日から示した。次の日全員が、5分前の6時55分に集まりました。
特別支援学校の教員あるいは福祉施設の職員も遠征に同行していたのですが、なかには「なんで先に行っちゃうんだ」と文句を言っている人もいました。その話をミーティングでしたときに、スタッフは、「なるほど。自分たちは、障害があるということで、随分彼らに課すハードルを下げていたのではないか」という反省がありました。
2006年ドイツ大会の監督をやった小澤さんも当時のスタッフにいましたけど、かなりショックを受けていました。今までは謝らせて手打ちしていたなぁと。それじゃ育たないなということ。一方で、スタッフの中にはそれでもまだ納得していなくて、遅れるには遅れる理由があるんだから待ってもらってもいいじゃないかというような発想の方もいました。
チームを作っていくうえで、知的障害があるということで出てくる彼らの困難さと、知的障害があることでどう育てられてきたかというところから学んできちゃった彼らの持っている難しさと、2つあるわけです。もし彼らと接する場合がありましたら、これは教育だなぁとか躾けだなぁというところがたぶん垣間見えてくるとことがあると思います。
あくまで知的障害というのは問題解決能力の障害ですので、時間にルーズなのは知的障害のせいではないし、身辺自立が出来ないのも知的障害のせいではない。それは、それを良しとしてきた環境に原因があるというふうに考えたほうがいいと思うわけです。
そういうふうに、障害から来る部分、それから育ちや環境から学んできてしまった部分、と分けて考えるのは大変難しい話なんですけども、そういうことが彼らにとっても大きなチャレンジになってくる。
それから、順番が待てないというのがあるんですが、見えないルールが理解しづらいということがあります。全体を俯瞰することが大変苦手ですので、フォーメーションなんかやっていても、ひとつボールのところに集中してしまったり、逆にそれじゃいけないんだという教えを受けると、自分のポジションというものをだいたいエリアで決めて、そこから出られないというパターンに陥ってしまう。パターンに依存して窮屈に行くのか、思ったようにやってバランスを崩してしまうのか、そのバランスをどう作っていくかというのが知的障害を持っているアスリートを指導していく上で指導力が問われてくる部分だとおもいます。
一方、資料2の四角で囲んだ部分ですが、これは大橋さんももう何度となく触れてもらい、宣伝してもらった部分でもあるんですけど、スポーツに必要とされる多くのメンタル面やフィジカル面の条件を持てない。だけどその反面、諦めないで愚直に繰り返す、そして真面目に取り組むという、成功するための条件は、実は彼らは健常者以上に持っているかもしれない。これは関わった方はどなたも感じている部分です。
御殿場のサッカー施設(時之栖スポーツセンター)では毎年、代表は合宿を張らしてもらっているんですけど、御殿場がオープンしたときからお世話になっています。あそこのサッカー場には高校のチームがたくさん来るんですけど、知的障害の代表チームのことを宣伝していただいていて、逆に高校サッカーの指導者の方から「いつ代表来るの?来たら選手たちに試合させたいんだけども」とメッセージを貰えるようになってきました。
逆に教育的なことに使ってもらっているんですけれども、なにせ最後まで諦めない、見切ってボールが出るなとおもっても追いかける。僕らからするとそうでなくて、見切れないから追いかけているんだというところもあるんですけど。そういう、成功するまで繰り返し繰り返し、血みどろになってやっていくというところの愚直さや真面目さが、どの選手にも言えるところだと。これをどう伸ばしていくか、これをどう誇りに変えていくかと言うのが、知的障害を持っているチームの指導者に課せられる課題だろうと思っています。
資料の「連盟設立趣意書」の上のほうを見ていただくと、「発育発達を促し、心理的な束縛から解放し、豊かな余暇を享受し、社会参加を促進する」、これが知的障害を持っている方のスポーツへの効能と言われていますが、僕らはよく車の両輪だよと言います。サッカーと仕事、あるいはサッカーと勉強が車の両輪なんだ。コインの裏と表みたいな関係になっている。仕事がうまくいかないとサッカーの練習に出てこなくなるし、サッカーが出来ない体力になってくると仕事でも首を切られている。サッカーを長く続けられるということが、実は仕事でも長く続けられるということになっていきます。
とくに知的障害をもっているアスリートの場合、本格的に体を動かしだすのが15〜16歳です。つまり義務教育課程では本格的なスポーツをやろうとしても知的障害が邪魔をしてなかなかきちっとした指導体系の中に入れないというのが現実なんです。
やっといろんな理解力が進んできて、やっと指導者とコンタクトがとれて形になっていくというのが、だいたい特別支援学校の高等部に入ってからです。そうするとそこから体力がつきだしていきますから、連盟が設立されるまでの10年位前までは、体力のピークは20歳でした。5年かけて作った体力は5年で落ちますので、25〜6歳を過ぎるとサッカーができなくなり、だいたいそのくらいで仕事もきつくなって辞めていってしまって、在宅障害者になって生活保護というルートをたどる選手たちが沢山いたんです。
今、横浜F・マリノスに知的障害のチーム(Marinos Futuro)があります。このチームの前身が、横浜市の福祉局で始めた障害者サッカーのトレセンです。全国に先駆けて横浜市の障害者スポーツセンター(横浜ラポール)を拠点に始めたものですが、そのときの目標が、体力のピークを30歳にもっていく、つまり15歳からスタートして30歳まで、15年かけてピークに持って行こうと。すると15年かけて落ちるはずだから、40歳台なかばまでは体が動くだろう。そうすれば、あとは障害者年金を使って一生困らずに暮らせるはずだと。体力のピークを30歳に持って行こうということで、トレセンに参加している選手たちにそういうプログラムを作ってアプローチをしていきました。
そういう中の筆頭が、2006年のワールドカップにも出ている横浜のH選手です、彼はもういま30代後半、35歳かな。ですけどまだ若い選手には負けません。彼は2002年のときがピークだとすると32〜33歳でピークですから、あと10年以上は仕事でも活躍できるだろうと思っています。そういう意味で、連盟が出来てから、特別支援学校の高等部3年間だけみていた指導者たちが、卒業生のチームを作り出して、30過ぎまでサッカーが楽しめるように出来るようにということを随分と実践してもらえるようになったなと思っています。
次に事業の歩み(資料3参照)についてお話したいと思います。連盟では全国調査を何年かに1回行うのですが、この6年間、2000年と2006年の間でも2,000人近くの選手が増えています。これはそれだけチームが増えた、100チームくらいは増えていますが、それよりも選手寿命が延びたのが大きいです。
そういう意味で、知的障害の選手たちにとっては、サッカーが出来るということと仕事を続けると言うことがかなり密接に関係している。
それは現実的には、障害者雇用というのは3年間は国から補助金が出るんです、特例子会社に限らず障害者雇用をしますと補助金がでます。ところが3年間で補助金が切れますので、4年目からは補助金の分のお給料は企業が負担をしなければいけなくなってくる。そうすると、力のない知的障害の社員はリストラの対象になってしまうことがよくあります。
新しく知的障害の雇用をすれば、また3年間補助金がその会社で出るわけです。ですからその3年間で、会社としては辞めてもらっては困るという人材になってくれないと、3年ごとに仕事を転々としなければならないという現実がある。
これを可能にするためには、やっぱり人一倍働く体力があるとか、あるいは社会性を身につけてそつなくコミュニケーションを取ってやっていくとか、そういう面で、サッカーのクラブで活動することが彼らにとっては非常にアドバンテージになっているだろうということがよく聞かれます。
そういう意味で現実には2002年と2006年のたった4年間ですが、もちろん上手い選手が出てきたと言うのもあるんですけども、代表選手20人を見てみますと、2006年に残っているのは7人くらいでしたっけ。3分の2がもう入れ替わっています。
そしてその3分の2入れ替わっているうち、サッカーを辞めてしまった選手たちが3分の2の半分くらいいるんですね。その選手たちをみると、やっぱり仕事が続かなくなって余暇活動のほうがなくなっている。もう生活自体が不安定になっていたりすると、やっぱりサッカーの活動に顔を見せられないんですね。仲間のところに顔を見せられなくなっている。
ですから知的障害のサッカーの場合には、やはりトップの育成をやりつつ、選手たちが長くいい条件で生活ができるということを指導者が保障していかないといけないという意味で、サッカーだけ見てればいいという世界でないあたりが、指導者の方々にはジレンマになっていると思うんですね。そういう意味で、マリノスさんの場合にも、なかなかそこまで手がまわりませんから、選手たちのなかにはちょっと不満を持っている者がいたり、指導者のなかにもどこまで選手の生活面から仕事面まで切り込んでいったらいいのかということで悩んでいる方がいたりというように、両方でジレンマを抱えている感じです。その辺は横浜の障害者スポーツセンターのスタッフが同時に入っていますので、フォローしながらやっているんだと思います。サッカーだけでない彼らの生活が、実はサッカーによって支えられているというあたりの構造をイメージしていただければとおもいます。
最後に資料に載せたのは、筑波大を退官された体育学系の後藤先生、日本知的障害者スポーツ連盟という知的障害者のスポーツを統括している団体のトップの先生ですが、その方がずっと東京都の育成会との関係で、知的障害のスポーツに関わっておられます。我々としてもリーダー的な存在の先生です。その方が2006年に書かれた報告書の中に出ている文書です。知的障害のスポーツということがよく表現されているとおもいましたので、参考までに添付しました。読んでいただければとおもいます。(報告書末尾に掲載)

ここで日本代表ポーランド遠征時のドキュメンタリー番組を鑑賞
依藤:ここからディスカッションに入りたいとおもいます、最初に日本代表についてお聞きします、2010年には南アでもうひとつのワールドカップが行われる予定なのですが、現在の日本代表チームの準備状況はどのようになっていますでしょうか。
森山:現在のところゼロです、その理由のひとつとして、障害者スポーツの現実っていうのがあります。例えばかつてJOCが日本体育協会の中にあった時代というのは、文部省の予算で強化をしなければならなかったんです。オリンピックの前年になると強化予算はつくんだけども、オリンピックの後の2年間はなにもつかない。これは各競技団体同じような状況にありました。それが、JOCが体協から独立をして独自の団体になってから、今のような強化策が各競技団体でとれるようになりました。もちろんマスメディアが競技まるごとかかえているような例もありますけど。いまの障害者スポーツは、かつてのJOCと同じ状況にあります。つまり、いわゆるJPCといわれているジャパンパラリンピック委員会というのが障害者スポーツ協会の下部組織として存在していて、ここの予算は原則として厚生労働省の予算でやっているわけです。ですからいろいろスポンサーを持てる団体は別ですけど、多くの団体がパラリンピックについてくる予算で行っている。例えば、今年度に関して我々の連盟がパラリンピックから貰っている助成金は、合宿1回分です、これもおそらく2010年の前年の2009年、来年度になると合宿3回分とかくらいに増える程度です。ですので、実質いまは代表としての活動というよりは、各地域トレセンで活動をして、それぞれの指導者が定期的に集まって、代表チームに向けてのベクトル合わせをしているというのが現状です。今年の秋口から少しずつ準備を進めていくのが今の段階です。
依藤:今までのお話を聞いていただいたとおり、日本ハンディキャップサッカー連盟はJFAの傘下ではないのですが、その反面関東のJリーグのチームがかなり積極的に知的障害者のサッカーに関わっています。今日はしいの木FCの森田監督にも参加していただいていますので、そのあたりをお話していだけたらとおもいます。
森田:千葉県市原市にある特別支援学校(しいの木特別支援学校)の知的障害のサッカーチームを指導している森田と申します、ジェフユナイテッド市原千葉の育成普及部長の池上正さんというコーチの方が、毎週自分のチームに指導に来てくださっています。きっかけは、自分が大学の同期だった羽生選手との繋がりがあり、ジェフの選手がうちのチームに来てくれるようになりました。それにコーチの方がついてきてくれるようになり、そこで繋がりが出来て、最後はジェフのコーチがチームを見てくれるという流れになりました。
またジェフのほうからすると、単にサポートという形ではなく、ジェフのコーチたちに知的障害のコーチの研修を積ませたいという話があったという経緯もあります。池上コーチが来るんですけど、それに若いジェフのユースのコーチであるとかレディースの監督が一緒についてきて、池上コーチが知的障害の選手をコーチする様子を、研修を兼ねて見学しています。将来的に池上コーチが考えているのは、ジェフのいろんなコーチがうちのチームに来て、知的障害の指導も出来るJリーグのコーチを沢山育てていき、ジェフから発信していきたという願いをもっています。
Jリーグのコーチに来ていただき、非常に指導がわかりやすいので、僕たちにとってもメリットがある話です。最初は月に2〜3回という話だったのですけど、コーチの方たちが好感を持っていただき、いまは毎週お越しいただいて7月は毎週来ていただいている状況にあります。
中塚:代表チームの話が中心だったのですが、今の話のように、日常的な知的障害の選手たちの活動の様子がちょっと僕にはイメージできないんで、そのあたりをもう少し教えていただけないかなとおもいます。
森山:サッカーをする場というのがスタートするのがだいたい特別支援学校の高等部なんです。では高等部から出て次にどこでプレーできるかというと、その特別支援学校のOBのチームしかないんです。マリノスのような例というのはほんとにレアなケースです、ですから転居してしまったりすると、クラブ間の移籍のようなことは出来なくて、結局サッカーをする場をなくしてしまうことになってしまう。練習頻度もだいたい毎週1回やっていれば多いほうです。代表クラスの選手でも、自分の所属しているチームの練習は、週に1回あればそれは全国レベルでみても多いんじゃないかと。東京の場合はトレセンの制度を作ったり強化指定選手をつくったりして、夜間に特別支援学校の教員が体育館を使って練習をしています。そういう選手たちは週に2日から3日くらいサッカーできる環境が作られてますけど、だいたい全国的に見ると月に2回から4回隔週でやるか、週1でやるかぐらいが平均的な姿ではないでしょうか。
中塚:それは特別支援学校の中でも部活動という話?
森山:いや、特別支援学校の部活動はそれぐらいの頻度ですし、OBになってからもそれぐらいの頻度です。しいの木FCではどのくらい練習されてます?
森田:うちの学校は週4ぐらいです。
森山:熱心な先生がいらっしゃると週3、週4ということが可能になります。
中塚:基本的に特別支援学校は、授業が終わるとみんな下校するんですか?
森田:はい
中塚:だけど熱心な先生がいると残って練習をする。
森田:そうですね。
中塚:随分前ですが、小澤さん−プライドinブルーのときの代表監督で、私とは東京教員チーム時代のチームメート−が王子特別支援学校にいらした頃、自分のところの生徒を何人か連れてここ(筑波大学附属高校)で一緒に練習をやったことがあるんです。そういう子たちは、小澤という熱心な指導者にめぐり会えて健常者と一緒にサッカーをやるチャンスを得た稀なケースと考えていいのでしょうか。
森山:ええ稀なケースだとおもいます。組織的な問題もあって、特別支援学校の中学部では部活が認められていないです。中学部のサッカー部というのは東京都にはひとつもないんです。
で、プライドinブルーに出てくる選手たちは、ほとんど心身障害学級のお子さん、基本的には普通の中学校の身障学級の生徒さんで、その学校のサッカー部に、ちょっと遅れているけど入れてもらっている、そういう子たちなんです。特別支援学校育ちの子は、高校からはじめるのが普通です。
野田:中学でサッカーが認められていないのは、具体的にはどういう理由からなのでしょうか?
森田:教育委員会からのなんらかの制限があるんですね。我々も高等部の教員ですけど、放課後の部活は週に1回しか認められていないです。だから私は朝練をやっているんです。
参加者:あ、放課後じゃないから。
森山:まず特別支援学校の高等部で部活が出来ても、県外に行っちゃいかんというのが全国的に、約10年位前にありました。そもそも高等部の修学旅行に飛行機を使ってはだめとか、ものすごく制約が多いんです、特別支援学校には。たぶん事故があった場合のこととか、それからサッカーをやっていて福祉の関係の方たちと仕事しだしたときにかなりやられたんですけど、「なんで社会的弱者になりやすい障害者に優劣がつくことをさせるんだ」っていうことを随分いわれました。
この考え方はまだまだ根強く残っています。もともと社会的弱者で弱い立場にいる人たちを、なんでさらに優劣をつける世界に入れるのだという発想ですね、これは選手たちにとってはありがた迷惑な話で、勝ったら楽しいし嬉しいし、だから頑張れるんだって選手たちがそう言ってるんだけど、それでもいかんのか、ってだいぶ喧嘩したことがあります。未だに優劣をつけることに障害者を巻き込むとは何事だという論調の人たちは相当います。
野田:知的障害の方はフィジカルには鍛えれば健常者と同じように、例えば小さいころからスポーツをする機会を与えてあげれればもっとできるという話もでたのですが、本当はそうしてあげたほうがいいと。
森山:そう思います。実際に2002年のときのイングランドのチームに、4部か5部でプロ契約している選手がいました、つまりイギリスでは知的障害をもっていることがプロ選手になることの妨げにならないんだということです、ブラジルのチームにもフットサルのプロだという選手が2人くらいいました。
だから知的障害をもっているということと社会参加するということが明確にちゃんと整理されているんだなぁと。ヨーロッパでは。日本は知的障害があると判定された瞬間に、将来にわたって選択肢がごそっと奪われてしまう現状があって、ここをなんとか僕らとしては、サッカーとかスポーツを通じて改善できないかなというのが連盟を設立した趣旨なんです。
ただ知的障害の場合には、例えばダウン症を持っているとか自閉症があるとか、ほかの障害を合わせて出てくる場合もあるんです。そうするとどうしてもフィジカル面がうまくいかないタイプの人たちもいます。純粋に知的障害だけを持っている人たちというのは、トレーニングすれば我々と同じようなプレーに近づけると思いますね。
野田:例えばマリノスのようなパターンになると、そこの制約はまた事例が違ったりするのでしょうか?例えば週何回までしか練習できないとか。
森山:制約というより参加する側が参加できないんじゃないかという気がします、知的障害を持っているということで、必要以上に保護者のかたが子供たちを守るんですね、非常に過保護になってしまうケースが多いです。
例えば代表の合宿を御殿場で行うときに大橋監督が決めたのは「ひとりで来い」です。最初に代表合宿をやったときは、施設の職員やら学校の教員やら、必ず付き添いが来ていたんです。僕らにとっても経費の面でたまったもんじゃなくて、なんとかならないかなと思っていたんですけど、あるとき大橋監督が「あれなんとかならないか」という話になったときに「ひとりで来れないのか」と言われ、「大丈夫だと思いますけど」と。「じゃ代表選手に選ぶ条件は、ひとりで合宿に来られることとしよう」ということで各地域に投げたんです。
そしたら一番抵抗したのが親なんです。なんかあったらどうすんだと。そのとき僕らが取った態度は、「じゃぁいいです。来られる選手で組みますから」ということでした。
いろんな施設の職員やら教員から説得されるわけですが、可能性があるんだから行かせましょうとなり、それで保護者がやっと。リハーサルを何度もやったり、手順を書いた紙を渡したり、セーフティネットをたくさん敷いて、それでやっと来られるようになったというエピソードがあります。
今度は逆に、やればできるんだということと同時に、出来ないのはやらせなかったからだったんだということがわかってきて、そういう保護者の選手たちはチャレンジができるようになってくる。そのあたりが、やっぱり彼らの制約というのが意外と身近なところにあったのです。本当は、僕は制約はないと思うんだけど。しっかりとコミュニケーションをとりながら、あるときにはちゃんと話し、あるときには突き放しながらやっていくというのが効果があるのかなとおもいます。
阿部:連盟が設立されて10年間くらいで事故はなく運営されていますか。
森山:はい。1件もないですね、例えば御殿場に着いて、ほっとしてコンビ二に財布忘れて来たりとか、そのレベルの話は山ほどありますけど。2002年、2006年と両方選ばれている東京のMという選手の話で、彼は家電の量販店に勤めているんですが、どうしても合宿に参加したいけど会社でも彼は貴重な戦力になっている。ちょうど一番仕事が忙しい時期にあたる週末に合宿ですから、そこを休んで出してもらうということで、金曜日の夜遅くまで働いて土曜日の朝出たんじゃとても間に合わない。そこで仕事を終えてどうにかなるだろうと電車を乗り継いでいったら(終電だったので)途中で電車が止まっちゃて、駅で野宿をしてやって来たことがありました。朝6時くらいに電話があって、いまここにいるんですけど迎えに来てもらえますか、という。無鉄砲といえば無鉄砲だし、純粋といえば純粋だし、なんとか彼の熱い思いに答えてあげたいというのはあります。制約というと、本人たちよりも周りのサポートしている人たちをどう巻き込めるかということになってきます。
中塚:しいの木FCが朝7時から朝練をやるときにも、同じように保護者の理解を得ながらやっているわけですか。
森田:そうですね、しいの気FCの場合、子供たちは親元を離れて施設に入っているので。
しいの木というのは東京の特別支援学校なんですけど、千葉にある児童施設の併設養護なんです。ですから保護者は全部施設職員なわけです。いわゆる福祉関係の皆さんです。ですから朝練をすると最初に言ったときには、結局子供たちはそのために早起きをして自分で身支度を整えて学校へ一人で行くということを評価していただいてます、朝練習をやってよかったなとおもっています。
奥山:今の話だと、まわりの環境というものが制限というか制約を与えてしまっているという話ですね。実を言うと自分で判断をすることが苦手というのは、これは周りというよりその個人の能力を上げるしかないというふうに理解していいのでしょうか。
森山:結局そこがどうしても、知的障害をもっているということで、指導者の方も悩まれるところなんです。サポートがいらなくなるまで個人の能力が上がるのなら、それは知的障害じゃない。つまり知的障害をもっていたらなんらかの支援が絶対が必要なんです。じゃ個人の能力といったときに、自分で判断するっていうことは、例えばピッチの上であれば自分にボールが納まった時に目の前にはキーパーしかいない、行くしかないという判断をどうするか。ぱっと切り替えられるか、ということはたぶん出来ると思うんです、トレーニングによって。ただ、今度合宿があるから来いよ、と声をかけて「はいわかりました」とその子の判断でいけるかと言うと、それは無理なんです。だからいろんなレベルのところで関わってくるかとおもいます。
奥山:先ほどの例で、ボールをもらって目の前がキーパーでよし行くぞという判断はどうやって学んでいくのでしょうか。他にも、パスをもらったら前に敵がいて横に味方がいて、ただちょっと頑張ればシュートを打てるかもという状況の場合など、いろんなケースがあるのですが、そういうものもやっぱり自分で判断しなきゃいけないんですね。そこの判断というのは、どうやって、教育といったらいいのでしょうか、もしくはどうやって学んでいけばそういうのが出来るようになるのか。
森山:ただそこは、僕は健常者と変わらないとおもいますよ。例えば小学生を教えていたって同じことは起こるわけで、なぜだ、みたいな話はよくある訳じゃないですか。ここで打てばいいんだということは、自分で学んでいったりする。
奥山:経験を積んでいけば自然と解消される問題?
森山:僕はそうおもっていますが、経験させたいんだけど、例えば週に1回しか練習がないチームでやっているから、結局そのときに出来ても翌週またできるかはわかんないという話になってきちゃう。これが例えば中学のクラブだったら毎日あるから、先週はとまどったけど今週は出来るようになったとかの話ができるんだけど。そこの伸びしろの部分が、知的障害から来ているのか練習不足から来ているのかというのが、実はたぶん現場のコーチもみえてこないのじゃないかなと。
ただそうやって頻度を重ねてきて選手たちが変わっていくことを経験しているコーチがいれば、それは知的障害からくるんじゃなく経験値なんだということが言えるようになってくる。こんどは指導者のほうの経験値をどう上げるかということになってくるんですよね。そういう意味ではジェフの取り組みやマリノスの取り組みはすごく期待を持っています。
やっぱりいろんな制約をきちっと整理して、これは障害からくるものなのか環境からくるものなのかというあたりをそれぞれのところで発信していく時期になったなとおもいます。かつてはいまの質問自体が出ないような状況で僕らはやっていましたから。なるほど言われてみると、週に4回朝練をやっている学校が出てくると、僕らのほうが置いてけぼりをくらわないようにしないといけないなと思いながら聞いていたんですけど。
福島:さきほど中塚先生のほうから日常に関する質問があって、練習に関しては週に1回程度が一般的であるということだったのですが、それでは試合であるとか大会であるとか、いただいた資料以外にも地域の大会や試合があるのか、また実際にそういった大会や試合の運営をするための費用がかかるとおもいます。その費用はどのような負担で成り立っているのか、そういったことを教えていただければ。
森山:この資料に書いてあるのは連盟が主催している事業です。これ以外に大きな大会で言いますと、全国規模では国体があります。2001年からは障害者国体として身体障害者と知的障害者が一本化されました。それまでは知的障害の大会は「ゆうあいピック」という大会を身体障害と別に開催していたのですが、今は身体障害と一本化されました。そこの大会に出るために、それぞれの地域予選が5月から6月にかけて、東京のチームですと関東予選というのがあります。
それから、それぞれの地域で、東京の場合ですと「東京ゆうあいピック」というのがあり、千葉には「千葉ゆうあいピック」があり、神奈川にもあり、横浜市には「ハマピック」など、それぞれの地域自治体ごとの競技大会がある。それから知的の場合には、それぞれに地域トレセンをつくってますので、小澤先生が中心になって関東リーグをやっています。東京都選抜とか神奈川県選抜とか、それぞれ地域選抜ごとにリーグ戦をやってトレーニングと試合をかねて行っています。国体は自治体の予算がつきますが、関東リーグはそれぞれの選手たちが少しづつ出し合って運営費をまかなっているというのが現実です。
東京都の場合には、知的障害者のサッカー連盟を小澤先生が中心になって作られてHPもあるので、ご覧になった方もいるかとおもいます。それでもまだ東京都の障害者スポーツ協会の中の団体です。
いま、47の都道府県で、都道府県サッカー協会の中に障害者部門があるのは静岡だけです。静岡県はサッカー協会のなかに、ハンディキャップサッカー委員会というのがありまして、ここが全障害者のサッカーのサポートをしています。
そういう意味で、静岡に関しては人も審判も、あるいは指導者の育成も、県協会のなかで、養護学校の教員も施設職員であっても面倒を見てくれている現実があります。そういう都道府県協会はほかにはないですね。
森田:千葉はそうなってきていて、千葉のゆうあいピックではレイソルとジェフがサッカー教室を一緒にやるということもあり、千葉県知的障害者サッカー連盟は千葉県のサッカー協会のなかに事務所を置かせてもらっています。今年からです。
森山:たぶんそういう地域差が非常に出ているのが現状です。ですから今年調査したから、来年はまたガラッと変わっているとおもいます。僕らもぜんぜん情報がないところが沢山あるんですけど、費用についてはどうしても受益者負担という形にならざるをえないのが現実です。代表選手クラスになると、例えば東京の選手でいうと関東リーグに出ている自分のチームがあって、東京都の大会があって、関東リーグに東京都選抜で出ていてそれから国体に行くわけですね。さらに東日本の大会があって全日本選抜大会があって、これだけで年間に20から30試合はする形になります。その遠征費用から参加費用から、相当自己負担しなければならないというのが現実です。
福島:JFAとの関係についてちょっと触れられたんですけど、先ほどの話では、もともとのスタンスというか、今までなかなかサッカーファミリーとして取り入れてこれらなかったのは、彼ら(JFA)にとってなにが問題になっているようにお考えですか。
森山:まずひとつは、協会の方からすると障害者のサッカーというのがどういうのかわからない。実態もわからなければどういうものかもわからないというがあるでしょう。それともうひとつは、障害者の側からサッカー協会へアプローチをしてこなかったというのもあるとおもいます。双方が勉強不足だったというのがあるのではないでしょうか。
ですから、いざという時のために、すぐに動けるように、他の障害の団体とも連絡会をしましょう、組織づくりをしっかりしましょうというのが現状ですね。
田中:パラリンピックで知的障害者の種目としてサッカーであった時代は随分昔でしょうか。
森山:いやパラリンピックで知的のサッカーがあった時代はないです。パラリンピックで知的障害の種目が開催されたのはシドニーのときです、そのときにシドニーのパラリンピックでバスケット、水泳、卓球などいくつかの知的障害の競技が採用されたんです。ところが知的障害のバスケットでスペインが優勝したんですけど、選手が全員健常者だったんです。
田中:それではサッカーで不正があったわけじゃないんですね。僕も不思議だったんです。臨床スポーツという雑誌の今年の6月号に障害者の特集が出ていて、知的障害とはという説明が出ていて、スポーツのなかで「1986年にINASが設立され今も中心になっている。例えばサッカー、卓球、水泳、多くの競技の国際大会が開催されているが、現在知的障害者はパラリンピックの正式種目から排除されている。これには過去において知的障害を装った不正があった」とある。ということはこれはバスケなんですね。いまINAS-FIDはパラリンピックに復帰しようとしている。
森山:やっているんですが、経緯をいうと、当時のINASの会長がスペイン人だった。非常にヨーロッパ的な発想なんですね。その問題は今ではチャラになっていますが、いまパラリンピックのほうが問題視しているのは、いわゆる身体障害と違って基準が曖昧なんです。知的障害だと判定するために知的障害の基準というものがありますが、あってないようなもんなんです。例えばIQというものはどの国にいっても正規分布するように作られるんです。それはその国で標準化された知能検査を使うからなんです。だから例えば、日本のIQ100が他の国のIQ100とは限らないんです。そういう意味では右手がないとか左足に麻痺があるとか明確な基準で診断できるものとは違う。そういう意味でパラリンピックとしては、診断の明確化というのが復帰の条件ですよと。もっというとパラリンピックの場合には、大会に行ったときに大会の抱えているドクターが診断のチェックをします。例えば申告されているように右手の欠損が本当にそうなのかを全部チェックします。だけど知的障害の場合はそれが不可能なんです。
開催地へ行ってから全員の知能検査をし直すわけにはいかないし、その知能検査というものは各国で標準化されたものですから、そこの基準が国際スタンダードだと納得させられない限り知的の復帰は難しいなと。
田中:それでは無理してパラリンピックに復帰しないでワールドカップだとかそっちのほうの大会を目指すほうがいいんじゃないかなとおもいます。
森山:そうですね。これは競技団体の温度差がとても強く、例えばサッカーなんかはパラリンピックよりFIFAの中に入ったほうが楽だよと。資金も違うし、そのほうがいいのではという人たちが沢山いるみたいです。だけど卓球や水泳みたいに、資金が潤沢でない団体は、やっぱりパラリンピックに復帰したいという思いが強い。そういう意味で競技団体ごとの温度差があり、足並みが揃いにくいというのもあります。
中塚:FIFAの話なんですけど、先ほどヨーロッパの大会は、実はUEFAの主催ではなくINASの主催であるとの話がありました。例えばFIFAの中での障害者スポーツの位置づけというのはどうなっていますか。
森山:いま4年ごとに続いている「もうひとつのワールドカップ」は、いまはFIFA主催ではなくINASが主催になっています。2002年のときに日本で開催し、今回2006年はドイツでやったということで、ひとつの流れを作りつつある。それまでは関係なく開催していましたから。それが日本、ドイツというふうに、ワールドカップ開催国で開催するというのが2回続いているので、そういう意味でFIFAとしてはたぶん応援しやすいのかなと。土壌はヨーロッパですから、INASというのは。
参加者:アジアの中で日本以外にはこういう活動はあるのですか。
森山:2002年のときにインド、香港、韓国が参加しました。インドはもう辞めてしまいました。とてもできないと。資金もかかるしそれだけの体制が国内にない。香港も実質消滅しており、今は韓国と日本だけです。韓国の関係者に聞くと、どうも中国が立ち上げたらしいということで、中国がINASに加盟すれば、日中韓となってくるかなと。韓国とは定期戦をずっと行っていて、8月にも安東(あんどん)というところに行きます。そこに中国をいれていいかという打診が来てますので、中国にもそういう体制が整いつつあるのではとみています。
参加者:それからサウジアラビアも一応一緒ですから。
森山:ただ中東と東南アジアを分けるという発想に世界的になってきているので。
参加者:そうするとオーストラリアも?
森山:そうですね。オーストラリアもあったか。今は日本と韓国、オーストラリアですね。
2006年大会では、下の順位はその3カ国で争ってました。
森田:実はこういう場があるのでご相談したいことがあります。自分はこの資料に出ていてる後藤先生の研究室にいたので、指導教官だったのですけど、後藤先生から常々言われていたことがありました。それは、パラリンピックから知的障害が外されたときに、また知的障害がパラリンピックに戻るための条件があって、そのことでどうしても乗り越えられないハードルがある。それはなにかというと、パラリンピックから言われていることは、知的障害があるということがスポーツにおいてハンディキャップとなるということを科学的に証明しなさいということです。身体障害であれば、腕がなければ投げられないとか、足がなければ蹴れないとか、具体的なハンディキャップが見えるのですが、知的に障害があるということがサッカーのなかにおいてハンディになるということを証明しないと戻ることはできない。「森田、おまえはそれを証明できるのか」、と問われて、誰かがそれを証明しないとパラリンピックには復帰できないと言われたんです。
森山:それはそうですね。つまりIPCの考え方は、健常者と同じルールでなんの配慮もなく大会が出来るんだったら、それは障害じゃないという立場です。例えば、介助員も必要ないじゃないか。INASの大会を見てたって、みんな自分で行動して自分で判断して90分試合して、通訳がいるとか審判員が特別な配慮をするとか、例えば聴覚障害だったら審判員が旗をもって選手に伝えるとか、そういう特別な配慮がいらないじゃないかと。特別な配慮がいらないで、健常者と同じルールでスポーツが出来るのに、なにが障害だっていうのが身体障害の側から言う障害像なんです。
僕らも本人たちに聞いたことがあるんです。代表選手にも聞きました。大会の名前で知的障害者選手権であるとか知的障害者大会とかと大会名をつけているし、君らも知的障害者の大会に出てきているけども、これいらないんじゃないの?と。本人たち曰く、「なきゃ困る」と。「確かに森山さんがいうように、僕らは健常者の人たちと一緒にプレーも出来るし、そういうチームに実際に入ってプレーしている人もいるし、僕も入っています。フットサルのチームでプレーしています。だけどやっぱり試合に出られなかったりすると、外されたりとかいじめられたりとかしちゃうんですよ」と。「でも知的障害者の大会だったら、ここは僕らが主人公になれる場所なんだから、ここはやってくれないと困る」という。すると知的障害者がスポーツをするうえでのハンディになるということを証明するのは極めて難しいことなんだけど、知的障害者が知的障害者の枠の中でスポーツを楽しむ場を作ることは、これは本人たちもたぶん望んでいるんだろうなということは言えます。
一方で、先ほどビデオを見ていただいた、ポーランドへ連れて行った選手のなかに、障害者雇用で雇用をされたけど職場にバイトが多い。バイトで雇われるのは健常者です。自分は正社員なんだけども障害者雇用で入っています。サイクルが早いので、自分が障害者雇用で入っているということを知っているスタッフが、誰もいなくなる。店長と自分しかいなくなるような状況になってきたときに、僕は知的障害の代表は辞退します。というのは、そのことで職場を抜けると自分に知的障害があるということが職場にわかってしまうから、僕はもう代表合宿には出ませんと。一方ではそういう選手もいます。知的障害があるということを隠したい。そのほうが自分の選択肢が広がると考えるのです。養護学校を出ていて手帳を持っている。障害者雇用で入っている。だけど誰にも知られたくないという選手もなかにはいます。だからいろんなニーズがあって、どこで最大公約数を見つければいいのかと非常に悩むわけです。
中塚:いま説明されたのもたぶん答えにはなっていないとおもいます。つまり、ハンディになっているというのは、確かに環境の面ではハンディにはなっているけど、パフォーマンスの面で本当にハンディになっているかどうかは、本当のところはわからないのではないでしょうか。だけど、もしかしたらもうすでに考えておられるかもしれないのですが、いま話しを聞いていて、サッカーだけでなくあらゆるスポーツがそうなんですが、インプット系とアウトプット系、そしてそれを制御するコントロール系じゃないですか。なんらかの情報を入れて、ボールを蹴るとか投げるとかのアウトプットに変換するシステムがいろんなスポーツのパフォーマンスを形つくっているとするなら、視覚障害とか聴覚障害というのはたぶんインプット系に問題がある。手がないとか足がないとかはアウトプットに問題がある。知的障害というのは、インプットとアウトプットの間を繋ぐ判断のところ(コントロール系)に何らかの問題があるんだろうとおもうですよ、その「何らかの」というのがなにか良くわからないので、このあとは場所を変えて…。
森田:教科書的なことをそのまま言ったって通用しないですし。
田中:明確にIQ70以下とか毎年のように実施して、毎年70以下ですということを証明しない限り、参加資格というところでひっかかってきちゃうのかなという気がします。パラリンピックに対するハードルが高いようだったら、もうひとつのワールドカップにいたほうが、今のところ幸せでいいんじゃないかなと、傍観者としては思います。
あと僕は静岡で整形外科をやっているんですけど、特別支援学校の先生が連れてくる、知的障害の怪我した子をときどき診るんですけど、確かに過保護といえば過保護ですよね。この子たち将来どうなるんだろうなという不安をこちらに抱かせるような子が多いなかで、今日のビデオや「プライドinブルー」に出ていた子たちを見ていると、そういう世界があるということを彼らがもし知れば、もちろんサッカーでなくていいんですけども、絵のほうでも、それはその子たちの心の拠り所になる。回りの人たちがバックアップして、こういう世界があるぞということをもっともっと教えてあげないといけないし、中にはとてつもない才能を持った子もいるんじゃないかなという気もするんです。
以下、議論は「ルン」へ続く
筑波大学大学院人間総合科学研究所 後藤 邦夫
知的障害のある人たちの競技スポーツは、1981年鎌倉にある聖ミカヱル学園の山本貞彰氏・芳我衛氏等によってスペジャルオリンピックという競技会を開催することによって幕が開けられた。それまでは福祉施設間のソフトボール大会や、自治体内の球技大会が開催されていたが、それとて日本国内わずかな都府県で開催されているのみであった。
スペシャルオリンピックは国内全ての地域を視野に入れ、都府県組織を地区委員会と称して位置付け、地区委員会の活性化を求めた。地区委員会は地区大会を毎年開催し、その上位の大会として全国大会が東京あるいは大阪と言った大都市で開催された。また、知的障害のある人たちのスポーツ振興のために、ベースボールマガジン社からスペシャルオリンピックマガジンを発行し、個々の競技の指導法や各地区の大会結果などを掲載していた。また、アメリカで開催される世界大会に選手を派遣するなど、組織の割には大きな事業を展開した結果、組織の集金実力と出て行くお金の収支バランスが保てず、資金的にショートをして組織は崩壊した。
しかし、この組織が残した遺産は大きく、日本国内に知的障害のある人たちのスポーツの種を播く役割を演じた。東京、大阪他では組織の崩壊後も大会は新たな組織が誕生して継続して開催され、その活動がゆうあいピックとして厚生省が後援する知的障害のある人の全国大会誕生の原動力となった。 ゆうあいピックが誕生すると、全国の自治体が参加する大きな大会となったので、知的障害のある人のスポーツは、関係する人たちの大きな目標とする大会となった。その結果、競技力の向上と競技人口は拡大して行った。
一例をあげると、スペシャルオリンピック時代のバレーボールでは、九人制でサーブが入った方が得点をあげ、サープのみで殆どラリーが存在しなかった。しかし、ゆうあいピック時代になると、ラリーが続き、攻撃も多彩になった。
このような背景の中で、サッカーも徐々に競技力が上がったが、サッカーはこの他にもJリーグ開幕といった社会的な影響も潜在的な選手の拡大に寄与したと思う。また、この時期、東京にある社団法人東京都精神薄弱者スポーツ協会(当時の名称)が受け皿となり、イギリスのメンキャップ(イギリスにおける育成会と同様な組織)が主催したヨーロッパフットボール選手権招待に応じ、海外試合を経験し、海外の知的障害のある人のサッカー事情を知る、あるいは国際交流の素晴らしさを体験したことも、サッカー普及にー役かっていると思われる。
このようにサッカーが歴史を刻んでいった中で、社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会の中に設けられたスポーツ対策委員会が、補助金の受け皿となって知的障害のある人の全国大会をプロモートすることになった。初期には、育成会の依頼を受け横浜にある団体が全ての競技を統括したが、その団体の大会運営補助金配分に異論を唱える既にある程度組織的に競技活動をして人たちが、競技団体を設立して補助金の受け皿になり、全国大会を開催するようになった。サッカー部門では、石塚氏を代表として静岡、横浜、東京、滋賀の指導者たちが組織を立ち上げ、全国大会、講習会を開催し、サッカーという競技の普及発展を目指して地道な活動を開始した。
そういった活動をする中で、中心的存在であった瀬戸脇氏・森山氏他数名が、身銭を切ってイギリスで行われた知的障害のある人のワールドカップの視察に行き、知的障害のある人のサッカー普及にワールドカップという新たな目標を与えることになった。そして日韓ワールドカップ後に、東京や横浜を中心に開催した知的障害のある人のワールドカップが開催され、ワールドカップドイツ大会参加へと継承されていった。
そこまでの道のりは、決して平坦ではなく、石塚氏や瀬戸脇氏たちの苦労は並大抵のものではなかったであろう。特に、サッカーを愛する人たちの努力の結晶であるワールドカップ開催が、一部のサッカーとは縁もゆかりも無かった人によって誘致され、挙句の果てに莫大な借財まで残し、知的障害の人たちのサッカーの評判を失墜させたことや、今ドイツワールドカップでも生じた知的障害のある人の参加資格問題など、スポーツ振興以前の問題やスポーツを行ううえでの前提を満たしていない等、活動を行ううえでの数々の障壁を乗り越えての一歩一歩の歩みは本当に大変であったことが推察される。
知的障害のある人にとって、スポーツは健康を保持し、体力を保ち、社会性を培い、何よりも豊かな生活を保障する。サッカーに関わってきた人たちの殆どが養護学校の教員であったのは、それらのことを日常の教育活動の実践を通して、日本の知的障害のある人たちの生活にスポーツが不足していると痛切に感じていたからに違いない。
このようにサッカーは一部の人たちの献身的な努力によって、組織的に活動がなされ長い道のりを歩んできた。願わくば、この振興組織が更に強固になり、より多くのサッカーに触れていない人たちを巻き込んだ活動を地域で展開し、ここそこの町で障害のある人も無い人も入り乱れてサッカーに打ち興じている姿を当たり前に目にすることができるよう期待したい。
締めくくりに、ユネスコのみんなのスポーツ憲章を述べておきたい。
・全ての人は人格の全面的な発達のために不可欠な体育・スポーツに親しむ基本的権利を持っている。
・学齢前の子供を含む若い人々、高齢者、障害者が各々の要求に合致した体育・スポーツプログラムにより人格を十分に発達させるよう特別の機会が提供されなければならない。